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多様性とユニティー

2012年03月01日

愛する皆さんこんにちは。

言葉ってとても不思議なものです。それは生きています。
かつてこの星には、すごい数の言語があったと言われています。2012年現在、その数は減り続けていて、英語と中国語という二大巨頭の勢力は広がり続けています。

言語の統合は、正に闘争と占領の歴史です。
パプアニューギニアには約800の言語があると言われます。日本はよく単一言語などといわれますが、実際には13くらいの言語があると数える事も出来ます。

村の畑

一地域内にある程度の人が、もっぱらその言語をつかって生活上のコミュニケーションしているなら、その言語はその地域に生きていると数えます。ですから、韓国語や手話も日本地域でカウントされる言語になります。さらに、奄美の言葉、沖縄本島の言葉、宮古島の言葉、八重山の言葉もそれぞれ違う言語として数えます。一方で、関西弁と東京弁を別の言語とは数えません。

(厳密な数字を追いたい方は、この記事を当てにされず、ご自身で文献をあたって確認して下さい。)

パプアニューギニアの国土は島嶼部を含めても、日本の国土面積の1.2倍ほどです。その狭い地域に800の言葉が残っているというのは、何をあらわしているのか。

それは、異なる言語を持つ部族間の闘争が、占領・非占領の関係性を持つ事が少なかったという事の間接的な証拠かもしれません。実際、作物のすくない山岳部では、頻繁に部族間の争いが起きます。私が留学してるころですら、その名残はありました。

しかし、実際に喧嘩がはじまると、だれか一人でも死傷したりすると、大騒ぎになり、賠償を求める口争いに変わり、やがて豚やわずかな土地の境界の譲歩で話しがつきます。熱心に争いをつづけるほどの懸命さは、この気候には似合わないのかもしれません。

新しい言語が生まれるという事はあまりありません。目立ったところでいうと、「エスペランサ」というものがあります。ポーランド人の頭の良い人が、国際共通言語として人工的に作ろうとしたものです。

エスペランサ語の聖書もありますし、きっと一つの言語に数えられるでしょう。しかし、あまり普及してませんね。プログラミング言語や手話も新しくうまれる人工言語ではあります。

もう一つは、植民地時代に宗主国の言葉と現地の言葉が混ざり合って出来るクレオール言語というものがあります。南米に多い言語です。宗主国の元の言葉とは別の言語としてカウントされるものがあります。

また、そのクレオール言語とも呼べない段階の言語として、ピジンイングリッシュと呼ばれる、いわゆる「片言英語」がありました。もともと、アジア沿岸部で西洋諸国との通商につかわれていた言葉ですが、言語と数えられないほど未発達なものでした。

しかし、そのピジンイングリッシュがパプアニューギニアでは独特の発展を遂げ、一つの言語としてカウントするに値する使われ方をしているのです。自然発生した最新の言語が「Tok pisin」かもしれません。

世界のあちこちにピジンイングリッシュは残っているようですが、日常の会話をほとんどまかなえるパプアニューギニアのピジンは、一線を画しているように感じます。

800もの言葉がある国では、別の部族間の人々が話しをするとき、ピジンイングリッシュがとても役に立ったのでしょう。今では、国のほとんどの人がピジン語を話せます。そして、自分の部族の言葉も。

私は、留学中にこのピジンイングリッシュを覚えてしまって、とても楽に話す事が出来ます。この事が、パプアニューギニアの旅をとても快適にしてくれます。

さて、キラゲ村です。
ここでは英語があまり通じません。中にはピジン語すらも通じない村人も居ます。キラゲの部族の言葉だけが唯一の言語であるおばあさんもいます。

「ケイ、ヤシの実は、ナニュウだよ。火種は、ナリガ。おはよう、は、ウトゥエパプエ。こんにちは、は、レイレイパプエ。こんばんは、は、ウォンパプエ。」
「うん、覚えてるよ。そして、ありがとうは、サグリムパプエ。Yes、は、メ。だったよね。」
「よく、覚えているね。さすが村の男じゃ。」
「うん、歌も覚えているよ。オエモロエーモロアー、オエモローエーモロアー。オエモローエエモロアー。遠い昔のことだよって意味だったね。」

この村の言葉は「マレウ・キラゲ語」と呼ばれます。
オーストロネシア語族の言葉は、母音をはっきり発音します。ですので、彼らの言葉をカタカナ読みで返すだけで、十分に通じます。

淳くんは、日が経つにつれ、村の皆と仲良くなり、彼らが教えてくれる言葉を一つずつメモして、片言の会話を重ねて行きます。こうやって、彼の頭のなかにあたらしい言語のフィールドが出来て行きます。

「オイシイ ゴハン アリガトウ」
「おー、ジュンもこれでキラゲの村人だ!」
「アリガトウ アリガトウ シアワセデス」

ヤシに登る子供

みんな、淳君が言葉を覚えるたびに大騒ぎです。笑い声と歌声が響きます。わたしが早々に座談を立ち去り、眠りのなかに入った後も延々と夜のしじまの中で談笑を続ける淳くんがいました。

言葉って、不思議です。
それは、形が無いけれど生きていて、こんなにも人と人をつなぎ、楽しませてくれる。

浜辺でカルカの上に座って、時間も忘れ、たき火の香りに鼻を刺激されながら、今夜は私も一緒に「炭坑節」を歌ったり、村の歌をうたったり。そんな中、おじいちゃんが「もしもし亀よ亀さんよー」と、歌い出しました。かつてここも、日本の占領地だった事があります。そのとき、日本の兵隊から教えてもらった歌だと言います。

「あー、ケイ、ケイ、ケイ、ケイ。お前がこうして、日本と村を行き来して、友人を連れて来て、こうやって村で一緒に笑ってくれる。それは、とても良いことだ。」
「じいちゃんがそう言ってくれる事は、僕にはものすごいご褒美だよ。ありがとうねえ。」
「ケイはすぐに歌や言葉を覚えて、だれとでも仲良くなるよね!」
「姉さん、ありがとう。だってみんなが大好きだからねー。」

「うん、そうなんだ。ケイ、おまえのひいじいちゃんの話しをしてやろう。」
「ひいじいちゃん?イギーのおじいちゃんってこと?」

「そうじゃ。アササー(ご先祖というような意味のピジン語)はな、この村のビッグマン(リーダーのような意味)じゃった。アササーは強い男でな、みんな一目おいておったんじゃ。喧嘩してる男達をみつけると、アササーは二人を諭して握手をさせた。それでもきかなきゃ、投げ飛ばした。だれも彼には叶わなかった。アササーがそういうので、みんな参って、喧嘩をやめた。そうして、村は本当に平和になったんじゃ。」

じいちゃんは、村でとれたタバコの葉を新聞紙で巻いたブルースと呼ばれるタバコに火をつける。ナリガを手にして、吸ってはともすタバコの光が暗闇の中で温かい。

「昔な、まだワシが生まれる前。日本人がやってきた。ナカムラというその日本人はな、このキラゲの沖でダイナマイトをつかって、珍しい貝や珊瑚をとってな、それを世界でうってなかなか立派な財産をつくったんじゃ。」

「そのナカムラを、アササーはこの村に迎え入れ、ナカムラは居心地がよくなって、村で何人も子供をつくった。」

「アササーは人を分け隔てしなかった。ナカムラは結局、キラゲの人になってずっと住んでいたよ。」

「そうして、戦争が始まったんじゃ。アメリカ軍がやってきてこの村にも基地を作った。わしらの親達はおそれて山に逃げ、穴をほって暮らしたんじゃ。」

「それでもな、アササーは動かなかった。しかも、慣れない土地で難儀している兵隊達に、食べ物をあたえ、いっしょに酒を呑んで語り合った。」

「戦況はかわり、今度は日本軍じゃ。アササーはなにも変わらなかった。戦いの事はしらないが、ただ病気の兵がおれば助け、畑の食べ物をわけてやった。徐々に日本兵は彼を認めるようになって、尊敬の証に階級章を与えたんだ。」

「アササーはいつもそうだった。彼の強さに叶うものは無く、彼は日本だろうが、アメリカだろうが、この村に来たら仲良くしろと言っていたんだ。」

「だから、ケイよ。こうやっておまえが違う世界をつないで、平和な夜をわしらにくれたことは、大きな事なんじゃよ。」

「そうか。。アササーの魂を僕が引き継いでるって言ってくれているんだね。」

まあ、本当の私はそんな大それたものではない、一介の旅人です。

「そういうことよ!ケイ。」

おばあちゃんが、嬉しそうな顔をたき火の光に照らして口をはさみます。

多様性をみとめて、太陽のもと分け隔てなく、調和と平和を生きる事を理屈ぬきに実行する。大地を信じ、人間を信じ、宇宙を信頼して、笑顔でいる。なにがあっても、皆を愛し、自分を顧みずに希望を見いだす。

大地を信じ、宇宙を信頼して。

「じいちゃん、ありがとう。イギーはいつも言っていたよ。アメリカや日本の友人達にキラゲの生活を体験させたいんだって。今、みんなが忘れているなにかが、キラゲにはあるって。キラゲに来たら、みんなが何を探しているかきっとわかるって。すくなくともジュンは、イギーのいったように大事な何かを見つけたみたいだよ。僕に出来る事はすくないけど、きっと僕が8年前に日本に戻って、やってきた事は、じいちゃんの言ってる事と関係あるのかもしれないよ。」

「うん、おまえもタラニア家の男だからな。わっはは。」

めずらしく遅くまで話しこんだ私は、すっかり眠くなって、皆に別れを告げ部屋で眠りました。

しかしすぐに目が覚め、浜辺へでて、目を閉じて座りました。天の川が見える様な満天の星。静かに宇宙と対話の時間を持ちました。波音がやがて消え、私は、人のつながりの妙、見えない糸の導き、この宇宙に満ちる愛と光の実存を長い時間味わいました。

伝統的な姿で

日本にいても、キラゲにいても、私がなにを体験していようとも、実存は一つです。私たちは多様性を体験していますが、それはほどく事の出来る幻でもある。現象の奥にゆるがない実存があり、それは光であって愛である。実存になんの属性もありません。

その透明ななにかに、ふっと宇宙が息を吹きかけるとき、さまざまな現象があらわれる。そのうちの一つが、この宇宙であり、地球であり、私であって、キラゲでもある。あなたでもあって、また、この通信でもあります。

さあ、夜も更けてきました。
村人達の笑い声もようやく静まったようです。
村の朝は早い。私ももう一度寝る事にしましょう。

今日は、このへんで。

宇宙に満ちる愛とともに。
ワールドピース