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ネパール旅行記 2

2014年07月25日

カトマンズの国内線出発待合所は簡素で風通しのよい場所。一角に仏像があり、ボランティアの女性たちが、毎朝その周辺を掃除する様子に心が温まる。6:15 出発予定のルクラ行きが飛ぶ気配がなく、毎日3時間以上ここで時間を過ごすのも3日目だ。なんだかこの場所も馴染みになってきた。

 

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初日、初めてルクラやエベレストベースキャンプ周辺の地図を買う。フライトキャンセルの知らせを聞くまで地図をみながらルクラから目的のタンボチェまでの道のりを確認する。 けっこうな道なりだ。どうやら自分たちの足以外に交通手段はないらしい。そんなことも知らずに私たちは旅へでたのだ。

 
思えば今年の前半も忙しかった。5月の個展が終わった後も、6月に急遽展示が入って、注文製作も受けた。

 
画業は 発展の兆しを見せているが、まだまだそれで人生の見通しが立つほどではない。ただ、私自身、先を見越して、計画的に生きることを選択しているのではなく、 宇宙の中で自分の役割を全うするなら、どんな時代、どんな国であろうと、その一個の器官が生を全うするだけのリソースは宇宙が届けてくれると信じて生きているのだから、今、まさにそうある自分の状況を感謝のうちに甘受するばかりなのだ。

 
足止めをくらっている間に、だんだんヒマラヤ国立公園内の様子がわかってくる。ロッジの費用、食事の値段。飲料水が高度が上がるに連れて割高になることなど。どうも最初予定していたよりも現金をもっていた方が良さそうだとわかり、クレジットカードでキャッシングをためす。ATMによっては、はじかれるところもある。運よく、何枚かのうちの一枚が認識され、40,000ルピーを財布にしまいこむ。

 

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この時間にブッダナートやパシュパティナートなどの世界遺産も見て回った。仏教とヒンズー教が入り乱れる独特の雰囲気。遣唐使の時代、日本からこの周辺を目指した僧たちがいたのかと思うと、彼らの見た世界と、当時の日本のギャップを慮ってしまう。この混沌と真理をどう伝えて行くのか。宗教が形骸化していく過程の一端を見るような気がした。

 

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出発ロビーで待つあいだ、だんだん顔なじみも出来てくる。あの二人組はあきらめたんだね。君は飛行機会社を変えて見たのか。どちらにしろ、空港の霧が晴れなければ同じだけどね。そんな会話を交わすようになっている。今日も飛ばないのかなあ。帰りの国際線は延長出来て3 日だった。それ以上はジュン君や私のスケジュールからも、難しい。これ以上キャンセルが続くと、タンボチェまでは行けそうにない。そうなったらそうなったで、宇宙ではそれが最善の流れなのだと信頼し、委ねるだけだ。そう思いながら、地図を買った売店で売られてる本に目を向ける。

 

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カトマンズにはアーリア人系の顔立ちの人も多いが、ヒマラヤ国立公園のなかにいくと、シェルパ民族の人が多い。 総じてチベット族に近い人々だ。ネパールは仏教徒とヒンズー教徒が仲良く共存している。仏教は主にチベット仏教で、ダライ・ラマは皆の尊敬を受けている。

 

世界的に有名な彼が、1999年にアメリカのビーコンシアターで行なった講演をもとに書かれた「オープンハート」が書棚に並んでいる。

 
ずいぶん前にその講演のすばらしさと反響をニュースで見たように思う。手にとって、目を英文に走らせる。英語圏内に入って数日。目が自然に英文を撫でるようになっている。分かり易い構文。馴染みやすい単語。ああ、これは待ち時間にちょうどいい。そう思い、1200ルピーで購入する。

 
買った本を開く頃、アナウンスが、「シムリックエアー020便ルクラ行き、ゲートにお入りください」と知らせる。状況はこうやって急に変わるのだ。

 

やっと搭乗できる。

 

しかし、まだ予断は許さない。のんびりと、ゆっくりと時は流れ、やがて私たちはタラップをあがり、小型飛行機に乗ることが出来た。

 
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日本をたって、5日目。とうとう、山の麓へいける。それだけで、なにかもう、目的を果たしたような感覚になっていた。