ネパール旅行記 8

朝方には雨が止んだ。五時半。
朝は五時台に目が覚めるのが習慣になってしまっている。

今日は、山は登らないのだ。疲れを通り越してしまって痛みも感じないふくらはぎや、深いところに鈍痛を感じている腰を休ませるために、もうすこし、寝ていたらいいのにこの体。

ロッジのダイニングルームへと降りる。
まだ、宿の手伝いをしている若者も、奥のキッチンで寝ている。

たまたま入ったこの宿だが、とても優しいホスピタリティーに溢れている。

ミネラルウォーターの値段がナムチェの2倍になっている。麓で聞いていたように、高度の上昇とともに物価も上がっていく。それは、こんなところまで重いものを運んできた労働に対して、正当な価値が払われている証拠でもある。そして、高度が上がると、そもそもお金があろうとなかろうと、買う物自体がない。

物がなくなると、人は今ある物を大切に使いだす。少ないもので、丁寧に暮らしだす。一日の満足度が増す。健康に気を使いだし、安全に過ごせた一日に感謝をする。

清くなっていく。

しかし、この清くなるあり方は、大きく環境に依存している。そんな清さは、街に戻ればすぐに失われてしまう。山にあって悟った行者が、街へ来て俗となるなら、特に彼はその清さにおいて何かを教えることは出来ないだろう。

私は、街にあっても、人々の欲の中に生きていようとも、ピュアな宇宙の愛を感じていることを自分に楽しませ、継続している。現代人の生き方のうちにすら、精神的な輝きがありうることを伝えようとしている。人と比べ、落ち込み、有頂天になり、喜び、悲しみ、いつわり、ごまかして、人の悲しみに目を閉ざし、自らの不幸を嘆くのが得意な現代の人々が、それでも、精神として輝けること。私たちの本質は、目に見えているものの背後にあること。そのことを、アートレッスンやアートを通じて実感してもらっている。

しかし、この清らかな時間だ。ここのロッジの主人は、笑い顔が顔に貼り付いたような表情で、ご飯のおかわりはいかがですか。寝る部屋は快適でしたか。きっと良い旅になりますよ。などと、話しかけてくれる。ロッジを訪れる旅人も、自然穏やかになる。村の青年を何人か雇っているようだ。彼らもまた、言葉遣いが丁寧で、テキパキと働いている。

ルクラからこちら、山道には、数キロおきに集落があり、人々はそこで耕作し、家をたてて住んでいる。幾つかの集落は、おそらく、20世紀にはいって、ヒマラヤ登山が世界的なレジャーとなって、作られたのだろう。集落には必ずロッジがあって、昼食をとったり、簡単な宿を得られたりする。そういう意味では、安心して歩ける。自分の体力や気候に応じて、最寄りの集落で休息を取ればいいのだ。

しかし、ナムチェから向こう、エベレストベースキャンプまではそんなに集落はない。ここ、タンボチェも集落ではなく、僧院があることで人里になっている場所だ。ロッジの主人も含め、コミュニティー自体が、僧院との関係のなかにあるのがわかる。主人も僧のようなものなのだ。

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この地に僧院ができたのは300年以上まえの事らしい。サングワ・ドルジェという高僧が啓示をうけてこのあたりに僧院を築いたという。僧院には、その高僧が何年も座禅を組んで、ついには岩が足の形に変形したと言い伝えられている岩が残っている。

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ここから僧たちは山の神聖さを臨み、敬意をはらって暮らしたのだという。

朝のタンボチェに清らかさが漂っている。

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私が自分のなかで保ってきたもの。そしてこの地だから感じられるなにか。
その二つが響き合いはじめている。私が、肉体ではなくなりつつある。

昨夜の雨で、十分に雨水タンクには水が蓄えられている。今日、絵を描くのに必要な水を遠慮なくボトルに詰める。画材をまとめ、運べるようにザックにいれる。丁寧に、ゆっくり、ひとつづつの所作を。

キッチンで、青年が目を覚ます。約束していたミルクティーと、ビスケットを用意してくれる。
外では、雨は上がったものの、霧で真っ白だ。晴れていたとしても、窓の方向にはエベレストは見えない。しかし、木立の麓から、少しずつ霧が昇っていく様は、それだけで美しい。

あったかいミルクティーを飲みながら、うっとりとそれを眺め、今日描く絵のビジョンが静かに私を満たし始める。