ネパール旅行記 9

食事を終えるころ、ロッジの主人がやってくる。

「今日は比較的いい天気ですよ。」
「そうですか。山は見えますかね。」
「さあ、どうだろう。なんせ雨季ですからね。でも、可能性はありますよ。」

そう、雨季なのだ。しかし、夏なのだ。それでも、3800mを超える山のなかでは、ダウンを着ていないと寒さを感じる。雨があがるのは、9月頃だという。その頃ではすっかり寒いだろう。それでも、人々は乾季を選ぶという。そして、乾季にはどんな小さなロッジも寝る部屋がないほどに世界中から人が来るのだという。皆、山が、見たいのだ。

ただし、そんなに人がいたのなら、私は落ち着いて絵を描くことなど出来なかっただろう。
たとえ、肝心の山が見えたとしても。

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ミルクティーを飲み終えた私は、昨日みつけた絵を描くのに適した場所へと行くまえに、なんの期待もせずにカメラを担いで少し散歩に出る。

「いってらっしゃい。荷物は見張ってますね。」

やはり空は白い。最高峰には縁がないのかな。

私はロッジのむこうの広場に出て、僧たちの寄宿舎で、昨日話した若い僧と挨拶を交わす。ナマステ。あなたのなかの神性に。

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寄宿舎の角をまがって、僧院の前の広場に出る。昨日、タンボチェの門をぬけて、真っ白な空が広がっていたところだ。

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碧い空がひろがる。輝く白い雲と好対照に。

そして、雪渓と黒い峻険な山と響き合って。そう、姿を現してくれた、Top of the world。
サガルマタ。チョモランマ。エベレスト。Top of the world。地球で一番高い頂。

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シャッターはしばらく後だ。私にむかって、たくさんの光がやってくる。私は笑うしかなくなる。今から絵を描く、その日に姿を現してくれた。

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こういう時間を過ごすことになるよ。そういう感覚が福岡を発つ前からあった。しかし、疑いそうになった時もあった。それでも、より良い時間を信頼することだけを続けて来た。

その私の意識に呼応するように、美しい姿が目の前に広がっている。

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時間の狭間。私は、私の本質が様々な高次の存在と情報交換するのを見ている。そこに日常的な時間はない。永遠で一瞬のような感覚。その内容は、この通信のなかであってすらも、言葉にするのはむつかしい。非常に乱暴な戯画にしかならない。それでも、どうにか要約するならば、「私は他人がどうあろうと、私自身の輝きを生きる。そのことを伝えにここに来た。」という感覚だったと言えるだろう。

エベレスト。8850m。その手前にはローツェと呼ばれる8500mの山。

その右側にアマンダブラムの姿が。「母の首飾り」という意味の山からは、やはり女神のようなエネルギーがこちらに向かって流れてくる。

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宇宙を瞑想する。この広大さすら、塵や埃のようでしかない銀河。その天の川銀河ですら、虚空のなかの一点でしかない宇宙。さまざまな次元が折り重なり、無限のエネルギーに満ちた宇宙。人間の意識という現象は、その広大さのなかにあってすら奇跡で、しかし、「意識」という現象は、この宇宙に多様なあり方で生起している。私たちの想像がおよばない領域での意識現象もあることだろう。

その「意識のエネルギー」が地球に関わるとき。この命の星を取り囲んで、そっと触れようとするとき。物質次元をこえた存在が、物質としての地球と愛し合うとき。最初にその朦朧体にふれるのは、物質として、もっとも高く宇宙へと聳える一点。私たちはいつもあなたたちを愛し見守っているよ。そういうエネルギーがここから流れ出す。

こんな天空の世界にあって、私は日頃、どんなに小さな事に引きずられて、感覚を鈍らせてしまっているかを痛感する。
いつも、この澄み切った感覚を。そう、できそうじゃないか。この心地よい天気の中にいると、この世界が日常のように思えてきて、慣れてしまう。

今日は一日、こんな様子の空なのではないか。

そう思い、撮影もそこそこに、私は荷物をもって、制作場所へと向かった。

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