すっからかん

愛する皆さんこんにちは。

今、こうして福岡の自宅で旅の当時のメモを見てみると、村にいた間つかったお金は、12キナ。一週間で約480円でした。夜、電気をつけて遅くまで話したいってみんなが言うから買って来た自家発電機用の軽油と、隣村の住民達がこの時期キラゲではとれないビートルナッツ(ビンロウジュの実:噛むと頭がすこしぽーっとする)をボートで運んで来た時に、じいちゃんとばあちゃんに買ってあげたくらいです。

しかし、私もジュンくんも、体験した事のないほどの豊かな時間を過ごしました。

なにもしないでいたければ、なにもせず。歩きたければ歩いて、食べたい時に食べたいだけ食べ、眠たくなれば寝る。その間中、村のみんなはちょうど良い距離で見守ってくれて、だれにも無理に気をつかわないし、だれも私たちにも無理に気を使わない。

ただ、お互いの思いやりと、緩やかな時間だけがそこにあります。

毎日の食事

淳くんは、本気で阿蘇で自農自作で生きようと思っています。すでに地元の人々に受け入れられ、畑を安く貸してもらっています。きちんと手入れしたら現金収入にもなるかもしれない栗園の管理も任されている。

彼は、薄氷のような現代の社会システムがパリンと割れたとしても生き残られる道を模索しているのかもしれない。しかし、そのような未来を見据える事が困難な日本である事も知っている。

ましてや、畑など持たない私は、そんな未来を見据えたら少なからず憂鬱になる。そもそも、人は大地の恵みだけで生きて行けるのでしょうか。

「そんなこと言ったって、お金はいるでしょう。」この言葉はまるで鉄壁のように、誰一人超えてはならない掟のように現代人に覆い被さってはないでしょうか。

その壁を越えられない、のは分かります。私もそうです。しかし、乗り越えられる人は乗り越える自由があっていいのです。

淳くんはキラゲの農業に興味をもち、キラゲ内に三つある主な集落、それぞれが担当してる畑をすべて見せてもらうといっていました。

私は勝手に若者達と行って来てほしいと思っていました。
30前半の頃、腰を痛めてから、あまり長い距離を歩くのは控えていたのです。のんびり浜のそばで、子供達に見守られながら絵を描いて一週間すごせたら、それでいい。そもそも、イギーの墓を村のみんながとても奇麗に整えてくれているのを見たので、もう、用は済んだ様なものだったのです。

しかし、まだ行ったことの無い畑もあるので、一応ついて行きました。
一日目、二日目、三日目。
私は驚いていました。どこも、痛くない。

さすがに、渓流を上って山の中腹の滝壺まで登った時は、往復6時間ほどかかっていて、少し膝が痛みましたが、それも翌日には消えている。

人間の体はストレスがないと、こんなにも蘇生するのだと再確認しました。

朝、目が覚めて、妹のいれてくれたティーパックのお茶を飲みます。簡単に着替え、縁側で歯磨きをして、ぼんやりしてると、

「ケイ、今日はあっちのガーデンに行こう。」
「ああ、いいよ。近いんだよね。」
「近い近い、すぐそこだから。」
「すぐそこね、じゃ、まあちょろっと行ってみよっかね。」
「うん、いこういこう。」

そうやって、何の気なしに歩き始めると、あっという間に二、三時間歩かされています。

「アイサポ、これは近いって言わないんだよ。ケイの感覚では、近いって言わないんだ。」
「あー、まあね、でも楽しかったろ?」

楽しかった。楽しかったのだ。私たちは本当に、一週間、すっからかんで楽しかった。

彼らの畑は、おおまかにどの家族の場所か、どのコミュニティーの場所か決まっています。決まっていますが、厳密さはなく、常にとれたものの分け合いがあります。その分け合いの記録は紙ではなく、心に刻まれます。

義理や義務感で返される分け合いはないように見受けられます。どうしたって、芋やバナナは余ってしまうのです。食べなければ、腐るだけです。怠け者にも十分に分け与えられます。その一方で、すこし休めよっていうくらい毎日畑にいく男もいます。

いろんな作物が一つの畑に混在して、肥料もなければ、農薬も無い。
陽は降り注ぎ、土地は十分で、一年に何度も収穫がある。

ヤシの木は柱になり、屋根になり、床になって住居を私たちに与えてくれる。

毎週日曜日は教会に村の皆が集まり、同じ時間に手を合わせます。
月曜日にはコミュニティーワークの日で、若者は力仕事を、女達は掃除を。大人達は砂浜に座って、近頃のことを訥々と何時間もタバコをすいながら話しています。時間が熟すまで、同じ砂に座って。

村にはキリスト教以前から、自然の中の精霊達とともにあるための歌や祭りがあります。この村にはいったキリスト教会は、そういったものを排除しませんでした。今でも、伝統の半裸の装いで、教会の行事に参加する姿が見られます。

「ケイ達がきたんだから、今度の日曜は子供達に衣装を着けさせ踊りをみせてやろうじゃないか。」
「いいの?準備大変じゃない?」
「いいんだよ。やろうやろう!」

そういって、すぐに井戸端会議があちこちで始まり、準備が私たちのしらないところで始まりました。

伝統文化と、新しい教会と、大地からの食料と、太陽熱と、友愛と尊厳と。

全てが調和して、そして、どこか力が抜けている。

私は、この生活が見たかったんだ。
正真正銘の、地球らしい人間の調和の世界を見たかったんだ。

なぜか、今私たちがいる世界、そして、この村から一歩出てパプアニューギニアの他の街にいってしまえば見られない、豊かな世界。

ここでは、そんな生活をするのに、「そうは言っても、お金は」いらないのです。

地上天国のひな型。

この型を、そのまま世界に適応させるのは無理ですが、角度を変え、次元を変えた時に、見えてくる、要点と方向性を得ることが出来るように思います。

さしあたり、今の日本人に一番欠けつつあるのは、自己存在への絶対的信頼かもしれません。自分が生きているのは、宇宙がそれを赦してくれたからだという真実に基づいた。

そんな、ある意味、底が抜けてしまう様な大信頼があるとき、すべてを天の運行に任せ、人を赦し、だれをも尊敬し、ほがらかな冗漫性をもって、生きることを喜べるものです。

「日本も、昔はこうだったのかなあ・・。」

淳くんは言いました。

私たちの世代は、日本の農村が朗らかな冗漫性にゆるされながら、調和して安全であった日々をよく知りませんが、そうであったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。

結局人は、自分が与えられた座標からしか世界を観ることが出来ず、言い換えると、人の数だけ世界があるとも言えます。

キラゲの生活をシェアすることで、私たちの座標軸はすこしだけ柔軟性を取り戻すのかもしれない。

本当に人類の社会システムが行き詰まってしまう時は、そもそもの前提に疑いの目を向けて、光が見えるところまで、座標をずらすことも必要になるのではないでしょうか。

日曜日、彼らは伝統の装いで伝統の踊りを見せてくれました。
プルプルと呼ばれる腰簑をつけて、男の子はお決まりの赤いラプラプ(腰布)を巻いてすり足行進です。素朴な動きとクンドゥドラムの音と、波と風の音が、私が地球にいることを忘れさせます。

ドラマチックな展開はなにもなく、ただ、淡々と穏やかな歌とリズムと動きが繰り返されます。

子供達の踊り

ただ、その時間を味わうだけ。

そうやって、いくつかの歌を今回も聞きました。
今回は10年前よりはまともな撮影器具もあったので、いつか映像としてお見せ出来るかもしれません。

今日は一部分だけ、村にいる気分でこちらのYoutubeをご覧下さい。
http://youtu.be/F65rrpZt8VI

また、今回の旅の写真を特別に一部公開いたします。
http://on.fb.me/yPhQft

もうすぐ私の旅の時間は終わろうとしています。
連続して圭通信を辛抱強く読んで下さった皆様、本当にありがとうございます。ピジン語で、「シアワセ」を「ハママス」と言います。

Mi hamamas tasol.  I’m just happy.
ワタシハシアワセデス。

それでは、今日はこの辺で。

宇宙に満ちる愛とともに。
ワールドピース

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八坂圭のアートレッスンについて。
今回は3月8日、9日、11日です。

3/8 木曜日
14:00~15:30(9名)
17:30~19:00(4名)
3/9 金曜日
14:00~15:30(9名)
17:30~19:00(4名)
3/11 日曜日
14:00~15:30(9名)
17:30~19:00(4名)

http://bit.ly/zC7V5a

帰国後、私に十分な制作の時間を確保してくれた家族の協力で、
太陽と大地のエネルギーを十分に生かした新作ジークレーを
披露することが出来そうです。
その、光の中でのレッスンとなります。
どうぞ、お誘い合わせの上ご参加下さい。