インド旅行記4

「突然だけど、ステージでプレゼンテーションをしてくれないか。」
 
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(アシットはニューヨークでも個展を開くインドでは著名な画家)

 

インドのアシットがそう言います。会期がはじまってすぐのことでした。

周りのアーティストは「そういうことは、事前に言ってないと。」

と反応していましたが、逆に事前に言われたら準備せざるをえなくなり、負担だったことでしょう。
翌日、わたしは世界的な視点で美術についてなにがしかを聴衆に話すことになりました。

マレーシアのレジデンスに参加していたメンバーたちには、「圭の英語の話は、わかりやすい。」
という認識になっているようです。

結果、その場にいた記者も、その日の話を新聞の一面に書いてくれたし、
講演を聞いたメンバーたちは「今回のイベントを意義あるものにしてくれたよ。」
と、言ってくれました。

すこし、その時はなした内容を思い出してみなさんにもお伝えしようと思います。

 

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インターナショナルアーティストのグループを代表して、
インドの皆さんにお礼を申し上げます。
今回は素晴らしいイベントにお招きいただいてありがとうございます。
まずは、わたしたちのメンバーを紹介します。(それぞれに名前を呼ばれ、挨拶。)
アジアを中心として、草の根のアーティストの交流がこのように育ちつつあります。
これも、未来の文化への芽かもしれません。

さて、今日は「遠近法」ということをテーマに話そうと思います。

先日デリーの近代美術館を訪れ、近代以降のインドの美術の流れを概観することができました。
とても重厚で、エネルギッシュであることが、その特徴の一つでしょう。
また、ここへきて多くの国内作家の作品を見ることができ、そのクオリティーの高さを知りました。
そして、わたし個人の視点ですが、共通してみられる特徴として、霧のような無限空間が
たびたび表れる要素だと思いました。これはわたしの絵にもみられる特徴なのですが。

霧の向こうに消えていく世界。
これは、しかし、実は、東洋の絵画にも特徴的な共通点です。

西洋の絵画は、中世に「遠近法」という発明をしました。
この発明によって、よりリアルに、平面の中に3次元空間を描けるようになりました。
遠近法には「消失点」があります。
この「消失点」をもった遠近法は、近代まで東洋の国々の絵画にはあらわれませんでした。

中国の絵画も、日本の絵画も、文化的、技術的に潜在的にはインドの影響をうけています。
それはとても間接的であっても、つながっています。
そして、その東洋的な絵画は、西洋的な遠近法の消失点はもっていなくても、
雲や霧の中にかすむ、消失点をもっています。

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(ちょうど舞台背景のデザインも、霧がかったグラデーション効果をつかっていたので、それを例に説明する。)

このような消失点の先には、なにがあるでしょうか。無限の宇宙があります。

西洋の絵画は、二次元のなかに、三次元を再生しました。それは素晴らしいことです。
しかし、東洋の絵画は、二次元のなかに無限を見せることが出来ていたのです。

今、わたしたちは新しい時代を迎えています。美術に西も東も国境もありません。
現代美術という感覚で見たときに、人間が提示できる美への感覚に境界はかつてほど重要ではありません。
わたし自身は、現代的な感覚の絵を描いていますが、その絵のテーマは「宇宙からの愛」です。

平面のなかにある、無限への消失点を通じ、わたしたちは宇宙を思うことができます。
想像力は自由です。絵の力にさそわれて、わたしたちは今、宇宙から地球をみていると想像できます。

ここからみると、地球では、相変わらず、人々が、楽しんで、ときに争って、苦しんで、泣いて、それでも、今も生きています。わたしたちはここから、そこへ、愛を送ることもできる。

アートの持つ可能性は無限です。
同じ根を持ちながら、遠い世界を生きている、わたしや他のアジアの国々の作家たちがこの国にきて交流することから、新たな革新もおきるかもしれません。
無限への遠近法をわたしたちはもっと生かすことができるのです。
新しいアートを。愛の時代のアートを。

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話のあと、日本画の伝統やタンカ、曼荼羅についての質疑応答もありました。
花束をうけとり、壇を降りると、多くの人が駆け寄ってきて、とても心に響いた、分かりやすかった。などと声をかけてくれました。わたしはいつものように、天に任せただけで、自身も、話の内容を聞いている感覚だったので、あらためて、わたしを使ってくれている宇宙の存在の素晴らしさを体験しました。

新聞にも載った影響か、わたしの作品を見に来る人は多く、見ていると幸せな感覚になる、瞑想をしている時のような感覚だ、ただ、美しい。など、日本で皆さんがおっしゃってくれるのと、同じ言葉を、素直にかけていってくださいました。

宇宙はかつてわたしに、絵を通して今の時代に愛と光をつたえなさい。世界にそれを広げなさいといわれました。

その使命の旅は、いまだ遥か遠く、方法もわかりません。
ただ、淡々と描いて、機会があれば、こうやって発信し続ける。
その繰り返しです。その繰り返しの中でも、シニカルな発信の多い美術という分野の中で、愛と光を海外で発信し、それを、理解してもらえたことは、大きな喜びでした。

わたしのいう愛はセンセーショナルなものではありません。
静かで、どこにでもいつもある、存在の背景のようなものです。
人間はそれをわすれがちだから、あえて絵で伝えたい。

その夜も、伝統舞踊のステージは続き、わたしは夜中まで見ていました。

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リグ・ヴェーダや、ラーマ・ヤーナという言葉が解説で出てくるたびに、わたしはシュタイナーの本の中で繰り返し出てきた単語として、その事を思い出していました。
ただ、整理されない情報としてそのときはあったのですが、たびの終わりには今日の講演や、それらの事が一つに結びついていくのでした。

それは、また、後の記事で。
それでは、また。
今日も宇宙に満ちる愛とともに。

ワールドピース!