ネパール旅行記 4

「ナマステ」そういいながら、手を合わせると、誰もが「ナマステ」と返してくれる。ニューギニアにいてもそうだったけれど、すれ違うだけの縁の人に挨拶をして、なんの衒いもなく、それを返してくれる人が普通である社会にあうと、これこそが人間の住む場所だと感じてしまう。

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「ナマステ」そういって手を合わせているのは、その人の中の仏陀に手を合わせているのだよ、と、私の中の神様が言う。すれ違うひとりひとりが、私の意識の反映で、多様なその表れ方のひとつひとつに、神性が宿っている。本当にその通りだなと思いながら、生意気盛りのティーンネージャも、その挨拶だけには遊びの手すら止めて手を合わせてくれる。その目にピュアな輝きを見つける。

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修道院は今夜の祭の準備で忙しそうだ。祭自体は1週間続いていたらしく、今夜はその締めくくりで、高僧が来て、村の皆を祝福してくれるのだと言う。

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私はどうやら一年に一度の貴重な日にここにたどり着いたらしい。

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僧も村人も一体になって準備している。僧たちは村人にとって、兄弟であり、家族なのだ。シェルパの民もチベットの民も、遠くはモンゴリアンである。遊牧民は辺境へと追いやられ、中原を失った後、山岳と草原に残った。数百年を経て、彼らの生活風俗、そして衣装には草原の遊牧民であった時の名残が見られる。

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この地で仏教の教化を受けて、その教えに実際に恩恵を感じて来たからこそ、コミュニティーをあげて僧院を支えてきたし、今も支えている。彼らにとって仏教はお題目ではなくプラクティカルな行動なのだ。

散歩といっても、山路だ。街を一周しただけで息が上がっている。ここの高度は3200m。高山病を防ぐためには600m登るごとに何泊か休むことが勧められている。明日にはタンボチェまで行こうとしているが、すこし性急だろうか。

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一人歩きを終えて、宿にもどり、タティーやジュン君と合流して早めの夕食をいただく。食べ終わる頃ロッジの主や家族たちとすっかり仲良くなっているタティーは、シェルパの民族衣装を着せてもらって祭りに参加すると言い出す。そもそも彼女は南米の先住民族の顔立ちに近く、おなじモンゴロイドの系統からか、旅の途中、何度もシェルパ族に間違えられて、現地の言葉で話しかけられるほどなのだ。彼女自身、それを話の種にして、私たちを微笑ませていたが、民族衣装を着ると、すっかりその土地の人間だ。

シェルパの生活風俗に1000年の過去をみて、タティーの姿に10万年の遺伝子の旅を見る。そのそれぞれが、こうやって朗らかに時を同じくする現代。見た目や風習のちがいなど、どんなに興味深くても、僅かでしかなく、今、私たちは地球の舵取りをまかせられ、同じ希望にたつ兄弟として人間をやっているだけなのだ。

宿にはアメリカからカトマンズの老人施設にボランティアに来ていた若者グループもいて、ベースキャンプから戻って来たらしい。その彼らとも一緒になって、「ゴンバ」と呼ばれる祭へと参加する。

昼間とは打って変わって、人がひしめく修道院には、荘厳な祭壇が設けられて高齢の僧が読経をしている。民族衣装すがたのシェルパの男たちが、会場を仕切る。その誇らしげで威厳に満ちた姿勢に胸を打たれる。彼らはこの祭を執り行うことが誉れなのだ。僧たちの仏法を学ぶことを支えるのが、喜びなのだ。その仏法は、自己練磨と他者への思いやりを教えている。

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プラクティカルな良き宗教の在り方を見せて頂けることは、今の時代にあって本当に貴重なことだ。

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私たち旅人も、分け隔てなくラマ僧の祝福をうけ、カタと酒と菓子と首に結ぶ赤い糸をもらい、ナムチェでの夜が終わる。実践される高い精神は、意識の共振を生み、言葉や理論ではない静寂を心の中に生み出す。それは、高次のものへの敬意であり、愛なのだ。

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Top of the worldに出会う前に、私は自分の意識の在り方をもう一度確認させてもらった。疲れている体に少しの休養を。そしてまた歩こう。