ネパール旅行記 6

「君がポーターのゴニッシュか。よろしく。私はケイだ。」

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「イエス。」

「ありがとう。初めに言っておきたいんだが、我々はここにくるのが始めてで勝手がわからないこともある。」

「イエス。」

「うん。例えばだ、今日ここをたって、タンボチェまで行きたい。なるべくそこで長い時間を過ごして、しかし、15日までにはルクラへ戻らないといけないんだ。」

「イエス。」

「だから、どんなペースで登ればよくて、何日君を雇ったらいいのか、そこらへんから聞きたいんだ。そもそも一日いくらでやってくれるかな。」

「イエス。」

「いや・・。じゃあ、3日ならどうだろうか。」

「イエス。」

言葉がつうじない。それは大した問題じゃない。ジュン君だって英語は話せない。しかし、ここまで、周りの皆と気持ちは通じ合っているし、彼がしたいことも伝わっている。言葉じゃないのだ。しかし、つうじない。交渉ができない。

そこへ、宿の主がやってくる。寝起きの目をこすりながら、

「で、いくら出せるんだ。」

「ご主人が決めるんですか。」

「まあ、そんな感じだ。で。いくら出せる?」

「いや、相場もよく分からないのだけど、友達のタティーが言うには、一日1500ルピーくらいだと?」

「よし、決まりだ。それでいい。さ、早く出発しな。」

「じゃあ、3日で4500?」

「OK. 彼に直接払ってやってくれ。」

彼はライセンスを持ったガイドではないので、後から調べると、すこし、盛った金額になってしまったようだ。まだ、ハタチにもならなそうな彼の何かの役にたったらいいと思う。

彼の宿代や食事代はどうするのか、ルートの確認などは。まあ、宿の主人も、私たちがベースキャンプまで行こうと言うのではないと聞いて、軽い調子で対応されたようだ。

一抹の不安を感じても、ジュン君とゴニッシュが、言葉を使わず何かを伝え合ってるのを見て、笑いとなって消えてしまう。

にわとりがバザールに響くうちに、まだ私の体力があるうちに歩き出そう。なるべく向こうまで行こう。

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私は画材の入ったリュックをゴニッシュに持ってもらって、随分軽くなった。それでも、この高度だと、すぐに息が切れる。

山の風景はどこも美しい。たくさんの花が私を慰めてくれる。そのたびに私は歩みをとめ、写真を撮りたくなる。そして、目を上に向けると、霧が立ち込める。

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日本を発って、六日しか経っていない。しかし、日本にいたのが随分遠い時のように感じられる。あまりにも別世界なのだ。ルクラまで飛行機が飛ばなかったこと、中国の経由地の空港では、英語が通じず、一晩過ごすのに苦労したこと。思ったよりも、山道は険しく、何度か股関節が腫れたこと。それでも、意識はただ、かろやかに空を見上げ、この場所を目指していた。

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もうすぐ着くのかもしれない。ばくばくとなる心臓に言い聞かせて、また一気に高低差が300mはありそうなこの道を歩き切れば。それでも、この雲だ。着いたところで、エベレストはみれまい。明日だって晴れるかどうか。ここまで、よくぞ雨に降られずあるいたものだ。それだけでも随分ラッキーだと、ロッジで会う人たちは言う。

そこに、着いて、絵を描く。それだけで十分なのだ。見えなくても、私は何かを感じるだろう。そして、そうなったなら、宇宙ではそれが最善の流れだったのだと、そう信頼するだけ。

私は無口だった。2007年に腰や股関節をひどく痛め一ヶ月間入院して以来、無理な運動はずっと避けてきた。歪んでしまった骨や靱帯は戻らないと病院では言われていた。どこか本格的に痛み出したら、進むどころか、帰るのもむつかしくなる。

ただ、そうはならないと、ただ、素晴らしい山の旅なのだと、そう意識を保って、ただ歩いていた。

タンボチェの門が見えた。

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喜ぶところだ。演出上、そのようにしたい。

しかし私は、ただ、石垣に座り込むしかできなかった。なんの感慨もない。淡々と、一通過点を体験している。

しばらく、そうやって座る。

見渡す。真っ白い、霧の世界。

右手には、石造りのホテル。
左手に寺院。その先に小さなロッジがありそうだ。

私は、ジュン君とゴニッシュに、さあ、泊まるとこ探そう。と言う。

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しかし、私の足取りは探してる風ではない。一番、最寄りの、今目の前にあったロッジに駆け込んで、とにかく座って、ミルクティーを頼むのが精一杯だった。

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