ネパール旅行記 1

旅に出ました。

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ここ数年はカレンダーの原画を描きにどこかに旅に出るのが恒例になっています。去年は宮古島、そして今年はネパールへと行ってきました。

きっかけは小さなものでした。福岡にエベレストキッチンというネパール料理のレストランがあるのですが、メニューの中にスープからすべて野菜だけをつかったカレーがあるので、基本的にベジタリアンである私としてはとても助かるお店で、よく通っています。

そこの店長のラマさんは、日本語がとても上手でいつの間にかカレーを食べに行くと仲良く話すようになっていました。私がかつてパプアに住んでいたこと、一度はエベレストを見てみたいなんて話など。朗らかなラマさんはいつも笑顔で私の話に付き合ってくれました。

そんなラマさんが、「圭さん、今年は国に帰省しようかと思っていて。一緒に行きませんか?」と声をかけてくださいました。

来年のカレンダーの絵を、Top of the world で描く。世界のてっぺんから、世界中の人に愛と光を届ける発信をする。それはすてきなことじゃないかと、思いました。もちろん、世界中のひとが私のカレン ダーを手にするわけではないですが、毎年少しずつ発行部数をのばしてるカレンダー。出来るかぎり高い意識でほがらかに製作に当たることは、なにも悪いことではないはずです。

「いいですね。それで、いつ行きますか?」そんな軽い会話からはじまったネパール行きの話は、とんとんと形になって行きました。

気がつくと、言い出したラマさんは仕事の都合でいけなくなり、いつのまにか、2年前に一緒に旅をしたジュン君が同行することになっていました。

熊本で自作自農の暮らしにチャレンジしてるジュン君。二年前よりも農業ベースの暮らしは安定してきていて、管理してる畑の数も増えています。私は彼が借りている古い民家の一部分を、アトリエとして使うことで制作の可能性が広がったし、それぞれの道を、それぞれに前へと進んでいることを嬉しく感じています。

今回の旅の目的は、エベレストを感じながら絵を描くこと。しかし、今は雨季で、そうそう山は姿を表さないそうで す。7月の上旬、ラマさんのお店に出発前の挨拶に行った時は、そもそも首都のカトマンズから、飛行機でとりつける山に一番近いルクラという集落までのセス ナ機すら、運休が多いのだと言います。

それでも、私にはなぜか「きっと目的を果たし、素敵な旅になる。」という確信に近い何かがありました。すべては、私の意識次第なのだと。

私もジュン君も経費は極力抑えないと、下半期の事業予算がありません。時間はかかるけど往復で5万円台でいける方法を見つけ、上海経由で旅立ちました。

28時間ほどでカトマンズに着くと、空港にはラマさんのお兄さんが待っていてくれました。お兄さんも福岡の専門学校にいたことがあるらしく、日本語で挨拶をしてくださいます。タクシーでご自宅に向かうと、なかなか立派なおうちでした。

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カトマンズ市内で、まず一番最初に驚くのは交通です。信号がなく、ルールがなく、皆、それぞれのペースで突っ込みます。常にクラクションが街に溢れ、歩行者は好き勝手に道路を横断します。しかし、事故は少ないという。たしかに、この状況の中では、細心の注意力が働かざるをえず、事故は起きそうにありません。過酷な状況において、人間は能力を活性化させることの好例なのかもしれません。

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しばらくご自宅で、ネパールの風習などについてお話を聞き、さあ、明日飛行機は飛びますかねという話題で、一夜目は終わりました。

結局この後、2日間カトマンズで足止めにあい、旅程を3日伸ばし、旅の中で必要な情報や出会いを得て、いろいろあっても目的を果たすのですが、まだこの一夜目には何も知らない私たちでした。

待ち時間がとても多い旅でした。私は携帯端末をなにも持っていかなかったので、空白の時間にできることと言ったらひたすら内観と瞑想でした。その時間の静かさ、ビジョンの鮮やかさ、爽やかさ。その集中を邪魔する要素の少なさも今回の旅で得られたギフトでした。

圭通信、久しぶりの一通目はこれで終わります。明日から、また、旅立ちの記を。

 

よかったら、二年前のニューギニアへの旅も思い出しながら。
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