風音につつまれ

愛する皆さんこんにちは。

日差しのある日は気温が15℃ちかくまで上がるようになってきた福岡です。それでも、今朝は雪が積もりました。マイクロ氷河期が20年ほど続くという見解もあるようですが、四季のあるこの国は今、一進一退、春へと歩んでいます。

私たちは赤道から遠い所に国を営んでいて、太陽のエネルギーが絶えず降り注ぐ彼の地とは違う日々を生きています。

きっと、先祖達は太陽熱をいろんなものに変換し蓄えたのでしょう。曰く、米であり、麦であり、薪であって、貨幣であったのかもしれません。また、冬の日に暖をとりながら、訥々と話す昔話も、太陽熱の変換の延長にあるのかもしれません。

人はパンのみにて生くる者に非ず。上質なアートは人生の必需品です。精神は音楽や絵画、舞踊を通して十分に栄養を得ていなければ疲弊してしまいます。そして、その精神的エネルギーの栄養の源も、太陽なのではないでしょうか。

太陽光の乏しい地域に定住する私たちは複雑化した高度な芸術を希求して、精神の糧としている。しかし、日照量の違う南太平洋の国で、ただ浜辺で照り返す太陽を無為に受けるとき、それはありのまま宇宙の芸術体験なのかもしれません。

さあ、私たちは今旅の中にいます。

波を超えて村につき、一晩が過ぎ、二晩が過ぎた頃でしょうか。

「淳くん、数日前まで日本にいたの覚えているかい。」
「うん、なんか、でも、もう随分前のことと言うか・・」
「うん、遠い記憶のようだね。毎日、何度も何人もの僕の母や祖父や妹や叔母達が僕らに食事を運んで来てくれるけど、口には合ってるかい?」
「うん!すごく、おいしい。」
「よく、寝られているかい?」
「うん、すごく・・。」

村の妹たち

高床式のこの住居は、イギーを生んだ母親の妹夫婦、私にとっては大叔母になるのでしょうか。そんな正確な関係性に特に意味はなく、ただ老夫婦は、「私たちはあんたのじいちゃんとばあちゃんよ。安心してここで休みなさい。」と、一部屋を空けてくれました。

村には「ハウスボーイ」と呼ばれる、独身の男達がだれでも好きなように泊まれる部屋がいくつかあります。兄弟達は、ケイがまた独身になったということをリマから聞いているので、前のようにハウスボーイに寝ればいいじゃんと言っていましたが、いつも私の身の回りの世話をしてくれる妹達の家も近いからといって、祖母達がこの部屋を準備してくれたのです。

竹を割いて編んだ壁はしなやかで、ほどよく風をさえぎり、そよかぜを受け入れます。

熟れたパパイヤは甘く、若いココナッツの実は微炭酸のジュースで溢れます。淳くんも私も、菜食者なのですが、ここでの食事に動物性の出汁や具が入る事はそんなに無いので、気兼ねなく自分たちの嗜好にあった食事が出来ます。彼らに特別に気を配ってもらわなくても、彼らが食べる自然の恵みを安心して分かち合えるのです。

主食は、タロイモ、ヤムイモ、タピオカ、サツマイモ、などの炭水化物。それをアイビカと呼ばれるモロヘイヤのようなぬめりのある葉野菜や「カンコン」と呼ばれる空芯菜のような野菜と一緒にココナッツの絞り汁で煮ます。以前はめったに塩味もなかったのですが(海水を汲んで塩をつくるのは手間なので、たまにしか作らないし、たまにしか使いませんでした。)今は、貨物船が精製塩を安定供給してくれるので、大抵の家に塩があり、適度に塩味がありました。

私も淳くんも、この食事が大好きで、飽きずに何食もいただきました。そして、時にはタピオカをつぶし、ココナッツと混ぜてバナナの葉で包んで蒸したパンケーキを叔母達が時間をかけて調理し運んでくれます。このパンケーキの自然な甘みが、贅沢な滋味です。

軒先で、浜の風に吹かれながら。
一食、一食、体と魂が本当に必要な何かをとりいれてる。
おいしい。満ち足りて、幸せである。

「ケイ、どんどん食べろよ。おまえも淳も痩せすぎだよ。食べ物は、全部、山の麓のガーデン(畑)のものだ。全部フリーだよ。フリーに歩いて、フリーに食べて、フリーにマロロしてくれ。それがキラゲの生活だろ?」

村の浜辺

ああ、ありがとう。
うん、そうするよ。帰りのボートをどう手配するか。
銀行のある街まで、キャッシングする手だても無く、どうやってガソリンを立て替えてもらうか。まだ頭をつかう算段はのこってるけど、まあ、面倒ごとは慣れてる。天に任せて、村の自由ってやつを味わおう。

尾籠な話しですが、毎日のトイレが一仕事です。村には数カ所、共同のトイレがあります。深く広く掘った穴の上に材木を渡した場所に、四方をしっかり囲む小屋がたちます。入り口を隠す目隠しもあり、また、その小屋の周り25mほどが、生け垣で囲われ、プライバシーを守っている。立派なものです。

しかし、そこまで500mほどあります。
村の皆は、いちいちそこまでいかず、波打ち際で用を済ましてしまうそうですが、私たちは毎回そこまで往復歩く事になる。

その度に、子供達は「僕たちケイとジュンのガード!」といって、ついてきます。道沿いの脇の村の家からは、「息子よ!おはよう!」「孫!こんばんは!」「兄弟、こんにちは!」と毎回声を掛け合います。村中、家族だらけです。

手を振りながら、そばまで行くと、手前の家の妹達が、手水を用意してくれます。そして、帰りがけ縁側にすわってひとくさり話をする。

そういうパレードが、水浴びの時とあわせて一日に数回。

笑顔と、温かさと、日差しと、波音と、風音と。
彼らにとって見慣れた毎日を、私が花をみて、風の歌を褒めると、理屈抜きに同じ感覚をシェアする兄弟達。

「淳くんがこの村の生活を不便に思わず、ただ居る事を楽しんでくれて、僕はとても嬉しいよ。」
「うん、山でとれるものだけを分け合って食べて、みんな元気そうだし、なんか、すごく心地いい。なんか、調和してるっていうか・・。」
「淳くんもそう思う?ここは、パラダイスかな。
 ひょっとすると、あの高波の中、僕らは海に沈んで、天国に来たのかもしれないね。」
「あはははは。そうかも。」

「ケイ、洗い物ある?」

妹のジェネウィーが、扉の外から聞いてきます。
毎日、朝のお茶をいれたり、洗濯したり、親戚達の沢山の食事を、お皿に取り分けたり、家の周りの落ち葉やゴミを掃除したり。本当にあたまのあがらない働き者の女性達。彼女達の世話を受け入れる事が、彼女達の喜びである事を、10年前は学びました。

「ありがとう、スサ(シスター)。」

夕には、叔父達が尋ねて来て、カルカ(ジュートの葉を編んだマット)に座り、物語をします。

ニコラス爺さん

近すぎず、遠すぎず、執拗さは無く、私も彼らもマイペースで。
毎日、体と魂が健康であるために必要な食べ物と美しさは、太陽と地球から十分すぎるほどに与えられて。

ああ、帰って来たんだ。
私はそうやっと感じていました。

私は時折、浜辺やイギーの墓の前にすわり、祈りを捧げ、瞑想をします。

その事を、何一つ奇異な目で見ないでそっとしておいてくれる。

村での家族達との時間を、なんて言ったらいいでしょう。

控えめにいって、私たちは、愛し合っていた。

もし、なにかあって、この村に取り残されても、私が容易に肉体を損ねることは無いでしょう。そして、風に揺れる椰子を前景に、時折火山灰をあげるタラウェ山系の偉容を青空の下に見て、夜は天の川にとける無数の星たちと話し、宇宙と地球の織りなすアートを味わいつづける事でしょう。

でも、今回は一週間。

私は18日までには首都に戻り、淳くんを連れて日本へと戻らないと。
村から、首都まで、3日は見ていないと予測がつきません。

村では、コプラやカカオを収穫し、現金収入があります。基本的に共同体の収入であって、個人収入ではありませんが、必要があれば用立ててくれます。私が現金を持っていない事、帰りの飛行機が木曜の朝、ホスキンスを立つ事などを伝え、男達の微妙な力関係をみながら、頼むべき人に頼まなければなりません。これが私に課せられた唯一文明国の名残のような仕事です。

それ以外の時間、私たちはひたすらに山の麓や森を歩き、子供達とともにいて、歌を歌い、絵をかいて過ごしました。

絵を描く

さて、今日はこのへんで。
話しがながくなりますが、よかったらまたお付き合い下さい。

今日も宇宙に満ちる愛とともに。
ワールドピース

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