
そんな日々の中、起きたり、顔を洗ったりするのも、億劫がって伏せっている私に、母と妻が、
「カレンダーだけ、つくったら?」と声をかけました。
その頃の私は、絵筆をとるなんて、遠い遠い山頂に登れと言われてるような気分でした。
自分を否定する言葉が、次から次に溢れ、過去の記憶も、未来の展望も、今という場所の居心地の悪さも、全てが「NO」だけを突きつけていました。
湯呑みを見ても、靴を見ても、雲を見ても、太陽を見ても、私を私が責めなければならない理由を思い浮かべることが出来る。高速で頭は回転し、目に付く全てから暗黒を見ることができる。
今日、今の私から見ると、なんて凄まじい邪推力だろうと、呆れながらも感心します。
どんどんどんどん できることがなくなっていく。
服も着替えなくなっていく。歯も磨かなくなっていく。
ただ、食べることだけは辞めないでおこうと決めて、気を紛らわせるために、チェーンスモーカーのように一日中何かを食べてました。
気がつくと数ヶ月で20kgほど太り、歩くのも億劫な体になっていきました。
ある夏の日に、そうやって伏せってる私の体に、満面の笑みで4歳の娘が乗っかってきて、「大好き!」と言ったんです。
こうやって、動物の群れの中なら確実に捨てられて、朽ちていきそうな私でも、子供たちは大好きという。
居るだけで、この娘にとって、私という肉の塊は価値があるのだなあ。
カレンダーの絵を描こうと思っても、叔父の言葉や、その他のいろんな方からの否定の声が聞こえます。
それは全部自分の頭の中の声なのですけどね。
裕福でない私は、幸せの絵を描いてはいけないの?
求めらてる絵って何?私に降ってくる色や言葉は、私の捏造なの?
そうやって、ぐるぐる考えてばかりで、何もできないでいる私を、小さな子供は大好きと言う。
ある日、気がつくと水彩紙を水貼りしたパネルに向かうことが出来ていました。
うん、叔父の言葉も、その他のどんな否定の言葉も、どうでもいいや。
私は私にしかなれない。私の絵しか描けない。
そして、それは、とっても儚いくらい、少ない筆数で生まれてくる何か。
誰がなんと言おうとも、伝わろうと伝わらなかろうと、宇宙という命の一部として、選ぶ色、動き、構図、滲み・・・。
そう、この世界にある、何もかもが、ただ在るだけで、十分に役割を果たしてる。
どんな存在にも、何かが存在してることを否定する権利はない。
在るだけで、十分。
そんな気持ちになりながら、本当にゆっくり、たった一筆描くのに、半日かかったり、かと思いきや3枚くらいスッと進んだり。
周りでコロコロと跳ねて遊ぶ娘と共に、ひと月ほどかけて、13枚の絵が生まれました。
一日30分でもいいから、歩きなさい。医者にそう言われて久しかったけど、なかなか歩けないでいた。
しかし、カレンダーの絵を描き上げてから、毎日の散歩を日課にすることができました。
その後少しずつ、回復し、原画制作後の、デザイン作業も進められて、随分遅い年末に、アートカレンダーを完成させることができました。
また、次号に続きます。。。