
カレンダーだけでも、作ったら?という声からはじまった一連の仕事でしたが、毎年恒例のカレンダー展を開くことも出来ました。
生まれてきた絵たちは、言葉を必要としていないようでした。
夏の静かな日々。熊本は上益城郡、弊立神宮のそばにあるアトリエ兼住居で受け取った2022年の絵たちは、いつにも増して、私の心にしっくりとくるものでした。
その絵で綴られたカレンダーを見て、個展会場に来てくださった方の多くが、柔らかい笑顔になってくれました。
個展最終日、久しぶりに会う叔父が会場にやってきました。
しばらく、黙ってその場にいた後、「きれいかね。」と。
そして、続けて、「すごくいいんでは。」と。
いつも叔父は、私の絵を見て「わからん、わからん」と言うのですが、ちょうど叔父がくる30分ほど前に、若いアメリカ人がやってきて、「日本文化が大好きで、禅寺や茶の湯の間の感覚に憧れてるんだけど、ここの絵からは、その感覚に近いものを感じる。あなたが何をしようとしてるのか、私にはわかる!」と興奮気味に話して、カレンダーを買って行ってくれました。
「世の中には同じ絵を見ても、わからんわからんと言う人もいれば、わかるわかると言う人もいるんだね。」と、その叔父に話すと、鼻でフッと笑っていました。
そうして、叔父はまたノベルティー用にたくさんのカレンダーを買っていきました。
私は私でしかあれない。
人から見て、私が売れない画家なのに、家族を犠牲にしてまで、絵を描くことにしがみついている惨めな男と思われていたとしても。
しがみついてる割には、描き込む量の少ないあっさりした絵しか描けない、怠け者だと思われてたとしても。
いいじゃないか。
私は生きている。
生きている間は生きている。
私と同じように、心の闇をさまよった人もここ2〜3年多かったのではないでしょうか。
誰にも言えず、こっそりと苦しんでいる人もいるかもしれません。
比べることでもありませんが、もっと大変な状況の人もいると思います。
こう言う時って、「大変なのはあなただけじゃないのよ。」って叱咤激励されると、もうどうしようもなく萎れたりしますよね。
何もかもわかってても、どうにもできない。そんな時ってあると思います。
今、あなたがどんな状況だろうと、こうして、これを読んでいる。
読んでいるってことは、そこに居るってことです。
居るってことは存在してるってこと。
存在してるってことは、それで十分ってこと。
本当に無条件に。
そのことを分かるのは、意外と大事なことなんだと思うんです。
今年のカレンダーの絵は、きっとそのままのあなたを、見せてくれます。
頑張らなきゃいけないって思いそうになった時は、頑張ってもいいけど、頑張んなくても、君はとっても素敵だよって言ってるのが聞こえると思います。
あなたの生活の中に、そんなアートだからこそ送れるエールを届けさせていただけたら幸いです。
それでは、また。