
「俺はこげんと好かんったい!」
その一言は私の景色を変えました。毎年事務所からのノベルティーとして私のカレンダーを使ってくれている叔父からの言葉でした。私がカレンダーに記載している毎年のメッセージを無くしてほしいと言ってきたのです。
画家として絵を描くだけではなく、デザインの技量も活かしてオリジナルのカレンダーを毎年作ろうと思い立ち、印刷のクオリティーにおいて他と一線を画すアートカレンダーを作るようになって10年以上が経ちました。
一度でも手にしてくださったことがある方ならわかると思いますが、かつて私のカレンダーには毎月の言葉が記載されていました。その言葉は、私が「考えた」というよりは、時空そのものから私が「受け取った」言葉として綴ってきました。
叔父は、その言葉が胡散臭く、説教臭く、抹香臭く、偉そうであると、そう訴えてきました。
「そもそも、お前が世界から何を感じようと勝手やけど、それを人に押し付けるな。絵で感じたものを描くのはいい。せめて、だったら絵だけにしろ。言葉でやるな!」
「今まで目を瞑って応援の意味もあって、ノベルティーで使ってきたけど、限界だ。」
コロナの影響で、個展やアートレッスンを催す雰囲気でなくなり、アーティスト活動自体の歯車がずれてきた時期と重なり、叔父の言葉がこたえました。
長年活動の拠点だった東京のギャラリーも世代交代をして、路線変更から、私の作品展示がなくなったり、絵やグッズの販売を手伝ってくださろうとした人から、「世間的に成功してないように見える画家さんから、愛と光のエネルギーをと言われても、説得力がない。」と言われたり。
今までのように活動できないならば、何か職につながることをしなければということで、慣れない学校の先生業をやってみました。
ずれてしまった歯車は、ずれ切ってしまうところまで外れて、気がつけばパニックの発作で病院にかかることに。一時は、入院を強く勧められる重度の鬱だと診断されました。
そこから数ヶ月、一体どうして過ごしていたのか、自分でもよくわかりません。
確か、オリンピックがありましたよね。
そうして、祖母が亡くなりました。
なんだか、息子が受験生でしたね。
そう、勤めてた学校を首になったんですよね。
身の周りに何かが起きても、窓の外の流れる風景のようで。
感じることも、考えることも、しまいにはパニックになる事さえ手放してしまうような。
地上に存在していなかったような日々でした。
次号に続きます。。。